朝日は今あなたを待って

綴ることで自分を保ちたいです

この空のすべて

 

 

TwitterがXへと変わり、私の手の中の世界は以前よりも攻撃的になったような気がする。元々ここ数年のTwitterとはそういった議論がなされる場だったし、それをただ傍観するだけの立場であったのだけど、その間、自分なりに本を読んだり映画を観たり、自分のことを振り返ったりして、価値観をアップデートしようとしてきた。

だからこそ、ここ最近の、激しくなる一方なSNSに対する疲れや不満が溜まっていた。世界情勢のこともあり、マジョリティとマイノリティ、強者と弱者、その位置関係や交わされる言葉についても色々思考を巡らせた。この世界を覗く時、わたしはいつもピンと心の中に糸を張り詰めているみたいだった。そんな中でたくさん考えた。それでも、耐えられなくなってしまうことがどうにも多い。どうしようもなく涙が溢れたり、現実から目を背けたくなったりする。

どうすればもっと世界は優しくなれるのだろうか。そんなことばかり考える。ずっと深い海の底にいるみたいだった。

 

そんな時に、映画「夜明けのすべて」を観た。

私を底から掬い上げてくれる、一筋の光だと思えた。

今、息苦しいと思いながら生きている人にこの映画が届けばいいなと願いながら、私は今これを書いています。

 

 

最近、いろんなことを考えざるを得なくなっている。元旦に起きた大地震や脚本家の方の自死のニュースが顕著で、そこに関わった人たちは今どれほど苦しんでもがいているんだろうか、と気を緩めると頭の中はそんなことでいっぱいになる。ショッキングな内容のニュースがわたしたちにはあまりにもダイレクトに届いてしまい、そこに付随する声も、よく見える。

わたしたちの分かり合えなさ、マイノリティに属する自分への不安を心から実感する。

 

そんなものをすべてくるむように、じっくりじんわり解していく、わたしの心のケアをしていく映画が「夜明けのすべて」だった。

 

なんて優しい映画であったろうか。誰も誰かの権利を侵害することなく、ただお互いを程よい距離感で気遣いあう、そんな希望を描いている。

栗田科学のような職場なんて夢物語だという声もあったけれど、私は、フィクションにこそ夢や希望を込めるべきだと思う。私たちが一人一人努力すれば、こんな場を作れるかもしれない。そう思えることは、希望にはならないだろうか。

私はまだ未成年の立場であるけれど、今、この国に生きていて、具体的に希望となるものが、ない。国に対する見方なんて、年齢で対して変わるものではないのではないのだろうか。みんな少しずつ諦めて、でも諦めきれないことが確かにある。それをどうにかして現実にできれば、私たちはどれほど息がしやすくなるだろう。

その、糸口になるような映画だと思う。

 

この世に生きる希望が見出せない人は、どうかこの映画を見て欲しい。出会うことができて良かったと、きっと思う。

このセリフで締めくくられる「夜明けのすべて」という作品に、私は出会えて良かったと強く、強く、思う。